ネットでたびたび見かける、山岡士郎がアジフライにソースを滝のようにかける画像。この美味しんぼのアジフライのシーンに、多くの人が「本当にあるの?」と疑問を抱いています。実は、広く拡散されているアジフライのコラ画像と、アジフライの元ネタとなった原作の話には大きな違いがあるのです。
ソースをドボドボとかけるあの描写は、一体どこから来たのでしょうか。この記事では、元ネタである43巻の「食は人を表す」というエピソードを深掘りします。ファンの間では43巻のraw画像を探す人も少なくありません。
さらに、なぜ美味しんぼがこれほどネットでネタにされるのか、その背景にある、なんJでも話題の作者の思想強い側面や、登場人物が頭おかしいとまで言われる個性、そして作中の情報が間違いだらけという批判についても、多角的に解説していきます。
この記事のポイント
- アジフライの元ネタとなった話数がわかる
- コラ画像と原作の違いが理解できる
- 作品がネットでネタにされる背景を知れる
- 美味しんぼをより深く楽しむ視点が見つかる
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美味しんぼアジフライの元ネタとコラ画像を解説

ネットでたびたび見かける、山岡士郎がアジフライにソースを滝のようにかける衝撃的な画像。「このシーン、本当に原作にあるの?」と疑問に思ったことはありませんか? 🤔
実は、広く知られるあの画像は元ネタを面白おかしく改変したコラ画像であり、原作の描写とは大きく異なります。
この記事では、伝説の「美味しんぼアジフライ」の元ネタが収録されているコミックス43巻のエピソード「食は人を表わす」のあらすじを徹底解説。コラ画像と原作のシーンを比較し、なぜこの場面がこれほどまでに有名になったのか、その背景にある『美味しんぼ』ならではの強烈なキャラクター性や思想まで深掘りしていきます。
これを読めば、アジフライの真相がわかり、作品がもっと面白くなること間違いなしです!

アジフライの元ネタは何巻に収録?

結論から言うと、ネットで有名なアジフライのシーンの元ネタは、コミックス43巻の第5話「食は人を表わす」に収録されています。このエピソードは、単なる料理の話ではなく、主人公・山岡士郎と栗田ゆう子の関係が大きく進展する重要な巻に含まれる一話です。
43巻は、山岡が栗田さんについにプロポーズを果たし、結婚に向けて動き出すという、物語全体の大きな転換点です。そのため、この「食は人を表わす」は、山岡が栗田さんの家族、特に手強い義兄とどう向き合うかを描いたエピソードになっています。
元ネタの収録情報
- コミックス:美味しんぼ 43巻
- 話数:第5話
- タイトル:食は人を表わす
多くの人がコラ画像だけを見て「山岡はこんな奇行を…」と思っていますが、実際には山岡の人間性や価値観を表現するための、非常に計算されたシーンなのです。この背景を知ることで、アジフライのシーンが持つ本来の意味が見えてきます。
該当話「食は人を表わす」のあらすじ

物語は、主人公の山岡士郎が、婚約者である栗田ゆう子の実家へ結婚の挨拶に伺う、緊張感のある場面から始まります。しかし、そこで彼を待ち受けていたのは、ゆう子の兄・誠でした。この出会いが、後の伝説的なアジフライシーンへの引き金となります。
誠はオペラや三島由紀夫、ヨーロッパ車を好むエリート志向の人物です。一方で、山岡はそうした権威的な文化に反発を覚えるグータラな性格。案の定、二人は初対面から価値観の違いで激しく衝突してしまいます。誠が山岡を「無神経でがさつな男」と断じれば、山岡は誠の好むものを「俗物三種の神器」と一刀両断する始末でした。
誠:「君のような男に、大切な妹のゆう子を任せることはできない!」
山岡:「てやんでえ!あんたみたいな頭でっかちに、俺の何がわかるってんだ!」
結婚の許しを得るどころか、関係は最悪の状態に陥ります。ゆう子が間に立って取りなそうとしますが、一度こじれた二人の対立は収まりません。
そこで山岡は、通常の話し合いではラチが明かないと判断し、一つの風変わりな勝負を誠に提案します。それは、互いの好物をご馳走し合い、その「食」を通じて自分という人間を語り、相手に理解させるというものでした。
この提案は、単なる食事の誘いではありません。言ってしまえば、「言葉で語るのではなく、生き様そのものを味わわせてやる」という、山岡流のコミュニケーションの形です。彼は、食がその人の人となり、つまりは哲学や価値観までをも表すと信じていたのです。
対決の核心
この勝負のポイントは、料理の高級さや技術を競うものではない点にあります。何を選び、どう食べるかという行為そのものを通じて、自身の人間性を相手に伝え、理解を求めるという、非常に哲学的な対決でした。
そして勝負の当日、山岡が誠を連れて行ったのは高級料亭ではなく、何の変哲もない大衆食堂でした。そこで彼が自身の生き様を代表する一品として注文したものこそ、あのアジフライだったのです。山岡は、気取ったマナーなど一切無視し、心底楽しそうにソースをかけながら、こう言い放ちます。
「ソースをね、下品にドボドボかけて。ああ、アジフライ。正義の味方アジフライと!」
この一連の行動に、誠は面食らいます。しかし、気取らず、見栄も張らず、ただひたすらに「安くて、本当に美味いもの」を愛する山岡の純粋な姿に、彼は次第に心を動かされていきます。最終的に、誠は山岡の人間性を認め、二人の結婚を許すことになりました。このように、アジフライは二人の男性が互いの魂をぶつけ合い、理解し合うための重要な触媒として機能したのです。
43巻rawで確認する元々のシーン

では、実際に原作のシーンはどのようになっているのでしょうか。多くの人が「43巻 raw」と検索して確認しようとする、注目の場面です。
原作のコマでは、山岡は確かにアジフライにソースをかけますが、その量はごく一般的です。コラ画像のようにボトルを逆さにして滝のように注ぐような描写は一切ありません。
原作とコラ画像の比較
原作の描写とネットで拡散されているコラ画像には、以下のような決定的な違いがあります。
比較項目 | 原作(43巻)の描写 | コラ画像の描写 |
---|---|---|
ソースの量 | 常識的な量をかけている | ボトルから滝のように注がれている |
山岡の表情 | 楽しそうにアジフライを語っている | 狂気じみた表情に改変されていることが多い |
セリフ | 「ソースをね、下品にドボドボかけて。ああ、アジフライ。正義の味方アジフライと!」 | セリフはそのまま使われることが多い |
このように、原作のシーンは山岡の食に対する哲学を語る場面ですが、コラ画像はその一部分を過剰に誇張し、面白おかしく改変したものなのです。実際、山岡の「下品にドボドボ」というセリフ自体が、彼の美学を表現した言葉であり、実際の行動をそのまま描写したものではないと言えます。
拡散されたアジフライのコラ画像

広く知られているアジフライの画像は、前述の通り、原作のコマを悪意なく面白く改変したコラージュ画像です。ソースが滝のように流れるように加工され、山岡の奇人変人っぷりを象徴する画像として、インターネット上で瞬く間に拡散されました。
このコラ画像がなぜこれほどまでに受け入れられたのか。それは、多くの読者が持つ「山岡士郎ならやりかねない」という共通認識があったからに他なりません。
注意点
ネットで出回っている「ソースだくだく」のアジフライ画像は、ファンによる創作(コラ画像)です。原作にはそのような過激な描写は存在しないことを理解しておく必要があります。
普段から傲岸不遜な態度で食の権威をバッサリと切り捨て、時には常軌を逸した行動に出る山岡のキャラクター性が、このコラ画像の説得力を高めてしまったのです。言ってしまえば、多くの読者が持つ山岡像と、コラ画像の誇張表現が見事にマッチした結果と言えるでしょう。
ソースをドボドボかける描写は本当か

繰り返しますが、山岡がアジフライにソースを「ドボドボ」と滝のようにかける描写は、原作には存在しません。これは事実です。
しかし、山岡自身が「ソースをね、下品にドボドボかけて」と発言していることもまた事実です。このセリフこそが、このシーンの本質を示しています。
「ドボドボ」の真意
山岡の言う「ドボドボ」は、物理的なソースの量を指すのではなく、「行儀や体裁を気にせず、本能のままに味わう」という彼の食に対する姿勢や哲学を表現した言葉と解釈できます。高級料理や気取ったマナーへのアンチテーゼなのです。
つまり、コラ画像は山岡の「行動」を捏造しましたが、彼の「精神」はある意味で的確に表現していたのかもしれません。だからこそ、多くの人が元ネタを知った後でも、あのコラ画像を愛し、語り継いでいるのではないでしょうか。
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美味しんぼアジフライがネタにされる理由

『美味しんぼ』のアジフライがネットミームとしてこれほどまでに愛されるのは、単に画像が面白いからだけではありません。実は、この一つのネタの背景には、作品全体に流れる独特の「面白さ」が凝縮されています。
なぜ、ただアジフライを食べるシーンが伝説になったのでしょうか?その理由は、主に以下の3つの要素に隠されています。
- 強烈すぎる登場人物たち
- 作中に色濃く反映された作者の思想
- 時代と共にツッコミどころとなった食の知識
ここでは、これらの要素を深掘りし、『美味しんぼ』がなぜ「ネタの宝庫」と呼ばれるのか、その理由を解き明かしていきます。
登場人物が頭おかしいと言われる背景

『美味しんぼ』がネットでネタにされやすい大きな理由の一つに、登場人物たちの強烈な個性が挙げられます。特に「頭おかしい」とまで評されるキャラクターが多数登場し、常識では考えられない言動を繰り返すことが、読者に大きなインパクトを与えました。
代表的なキャラクターとして、以下の人物が挙げられます。
- 海原雄山:気に入らないことがあると即座にお膳をひっくり返す。息子の料理を「カス」と罵倒するなど、その言動はまさに暴君です。
- 大原社主:会社の社長でありながら、食べ物のことで癇癪を起こし、会社の経営を揺るがすような無茶な命令を連発します。
- 富井副部長:典型的な中間管理職の悲哀を体現しつつも、その食に対する無知と卑しさは、時に常軌を逸しています。
- 山岡士郎:主人公でありながら、社会人としての常識に欠けるグータラ社員。食のこととなると、相手が誰であろうと徹底的に論破し、人間関係を破壊することも厭いません。
これらのキャラクターが織りなす極端な人間ドラマが、アジフライのコラ画像のような「このキャラならやりかねない」という土壌を作り出し、数々のネットミームを生み出す源泉となっているのです。
なんJで語られる作者の思想とは

美味しんぼが議論の的となるもう一つの側面が、原作者・雁屋哲氏の強い思想です。特に巨大匿名掲示板の「なんJ(なんでも実況J)」などでは、作中に登場する主張がたびたび議論の対象となります。
作中では、食をテーマにしながらも、環境問題、食品添加物、捕鯨問題、大手企業への批判、果ては歴史認識に至るまで、多岐にわたる社会的なメッセージが色濃く反映されています。
なんJとは?
巨大匿名掲示板「5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)」の板の一つ、「なんでも実況J」の通称です。野球実況から派生しましたが、現在では様々な雑談やネタが投稿される巨大コミュニティとなっています。サブカルチャーに対する批評や分析が活発に行われる場でもあります。
これらの主張は、連載当時には先進的とされたものも多いですが、時代が下るにつれて科学的知見と異なる部分や、一方的な視点と見なされる部分も出てきました。なんJなどのネットコミュニティでは、こうした描写をツッコミながら楽しむという文化が根付いており、それが作品の新たな楽しみ方として定着している側面があります。
作中の思想強いと言われる描写の数々

「思想強い」と評される描写は、作品の随所にちりばめられています。これらは美味しんぼの個性であり、魅力の一つでもありますが、同時に批判の対象ともなってきました。
「思想が強い」とされる主なテーマ
- 化学調味料への徹底的な否定:「化学調味料を使う料理人は堕落している」といった断定的な表現が多用されます。
- 農薬や大量生産への批判:有機農法や伝統製法を至上とし、近代的な農業や食品産業を画一的に悪とみなす傾向があります。
これらの描写は、物語を分かりやすくするための演出である一方、あまりに極端なため、現実の生産者や企業努力を無視しているという批判を生むことにもなりました。特に、2011年の福島第一原子力発電所事故を扱ったエピソードでは、科学的根拠に乏しい描写が大きな社会問題にまで発展しました。
ただ、こうした強いメッセージ性こそが、単なるグルメ漫画に終わらない、社会派ドラマとしての『美味しんぼ』の骨格を形成していることも事実です。

美味しんぼは間違いだらけという指摘

連載期間が長期にわたったことや、時代の変化により、作中で語られる食の知識の一部が現在の科学的知見と異なっている、という指摘も少なくありません。「間違いだらけ」という強い言葉で批判されることもあります。
注意:あくまで作品が描かれた時代の価値観です
美味しんぼで語られる知識は、1980年代から2000年代にかけての価値観や情報に基づいています。現代の科学的常識とは異なる部分があるため、エンターテインメントとして楽しむことが重要です。鵜呑みにするのは避けましょう。
例えば、以下のようなテーマは、現在では異なる見方が一般的です。
- 化学調味料(MSG):作中では猛毒のように描かれますが、現在の科学では適切に使用すれば安全性に問題はないとされています。
- 水道水:日本の水道水は世界最高レベルの安全基準を誇りますが、作中では危険なものとして描かれることがあります。
- 牛乳:体に悪いという主張が見られますが、栄養価の高い食品であり、乳糖不耐症などの体質に合わない場合を除き、健康への寄与が認められています。
これらの指摘は、美味しんぼという作品の価値を貶めるものではありません。むしろ、「あの時代はそう考えられていたのか」という文化史的な資料として読むことで、新たな発見と面白さが生まれるのです。
総括:美味しんぼアジフライの面白さ

ここまで見てきたように、美味しんぼのアジフライという一つのネットミームには、作品の持つ様々な側面が凝縮されています。
- アジフライの元ネタはコミックス43巻第5話「食は人を表わす」
- ソースを滝のようにかける描写はファンによるコラ画像
- 原作の山岡は常識的な量のソースをかけている
- 「ドボドボ」は山岡の食哲学を表すセリフ
- コラ画像は山岡ならやりかねないというキャラクター性から拡散した
- 美味しんぼには海原雄山を筆頭に個性的な人物が多数登場する
- 「頭おかしい」と言われるほどの極端な言動がネタにされやすい
- 作中には原作者の強い思想が色濃く反映されている
- 化学調味料や農薬を否定し伝統製法を賛美する傾向が強い
- これらの主張はなんJなどのネットコミュニティで議論の対象になっている
- 連載当時の知識に基づいているため現代の科学的知見と異なる部分がある
- 「間違いだらけ」との批判もあるが時代の価値観を映す鏡ともいえる
- コラ画像やネットでのツッコミも含めて作品の楽しみ方の一つ
- 元ネタを知ることで作品をより一層深く味わうことができる
- アジフライのシーンは食を通じて人間性を描く美味しんぼのテーマを象徴している
ライターコラム
今回「美味しんぼのアジフライ」というテーマを深掘りしてみて、僕がたどり着着いたのは、ある種の感動でした。
正直に言うと、僕も最初はネットで笑い転げた一人です。「ソースどぼどぼのアジフライ」の画像を見て、「これぞ山岡!」「美味しんぼの狂気は最高だな!」なんて、元ネタも確認せずに楽しんでいました。
でも、この記事を書くために43巻を改めて読み返し、「食は人を表す」というエピソードの真意に触れたとき、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けたんです。
あのシーンは、ただの奇行じゃなかった。 不器用な男が、愛する人のために、その兄に自分のすべてを理解させようとする、あまりにも人間くさい「決闘」の場面だったんですね。山岡は、自分の生き様、哲学、そして「安っぽくても、心から美味いものを愛する」という魂の在り方を、たった一枚のアジフライに込めて差し出した。そう考えると、「正義の味方アジフライと!」というセリフが、なんだかもう、泣けるくらいにカッコよく見えてきて。
そして同時に、こうも思いました。
「じゃあ、なんであのコラ画像はあんなに面白くて、説得力があったんだろう?」と。
それはきっと、僕たちが『美味しんぼ』という作品の登場人物たちの「愛すべき狂気」を、心のどこかで理解し、受け入れているからなんでしょうね。
雄山が膳をひっくり返すのも、社主が食べ物のことで会社を傾けかけるのも、全部「食」というテーマの前では誰もがムキになり、人間性をむき出しにしてしまう物語だから。だから、「山岡ならソースを滝のようにかけたって不思議じゃない」と、誰もが笑って納得してしまう。
元ネタの感動と、コラ画像の面白さ。 その両方を知った今、僕は『美味しんぼ』という作品がもっともっと好きになりました。
間違いだらけと言われようが、思想が強いと揶揄されようが、この物語には理屈を超えた人間の「情」が溢れています。たった一枚のアジフライが、これだけの物語を僕たちに再発見させてくれる。これほど豊かな漫画は、そうそうありません。
今夜はなんだか、ソースたっぷりのアジフライで一杯やりたくなりました。もちろん、原作通り、常識的な量で(笑)。
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